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おもいつき:幸せとは

 1、起

私は、アコーディオンやアーチェリーへ自己時間を使うことに幸せを感じます。

みんな同じことで幸せを感じられるでしょうか。


 2、幸せの定義

生きる目的を問うた際に、『幸せになるため』という定番の答えがある。

私はまだ、自信を持って答えることはできないが、現時点では上記のように答える。


唐突ではあるが、私は幸せとは以下のように考えている。

『自身の内側から自然に湧いてくる強い意志に従い、自己時間を消費したこと』


例えば、

・エビカツを食べたい

→お店に行く他

・パートナーが欲しい

→合コンに行く他

・お金持ちになりたい

→お金の勉強をはじめる他

・企業したい

→事業計画書をつくる他


ここで重要なのは、幸せとは、結果ではなく、自己時間の消費により生まれる過程ということである。

すべて自身で完結しているものであり、そこに他者の存在あり得ない。



 3、虚構の幸せ

我々が幸せと錯覚する例は、

・両親に褒められた

・先輩から好かれた

・師に腕を認められた

・恋人ができた

・応援しているアイドルに認知された

・ゲームでランキングに入った


こういった虚構の幸せに騙されてはならない

なぜなら、自身の外にある虚構の幸せは、突如とあなたの意思とは全く無関係に姿を変えてしまうからである。


・両親から褒められて幸せなら、怒られれば不幸になるだろう

・先輩から好かれて幸せなら、嫌われれば不幸になるだろう

・師に腕を認めらて幸せなら、他の弟子が貴方より認められれば不幸になるだろう

・恋人ができて幸せなら、失えば不幸になるだろう

あと2つはネット社会にゴロゴロしているので割愛


このような一瞬ばかりの虚構の幸せを、真の幸せと誤認してしまえば、

『幸せになるため』に生きてきた人生は同時に不幸になる因子を集めているということになってしまう。

限られた時間において、そんなモノを求める必要は全くない。


 4、自己時間の消費と虚構の幸せ

幸せとは、

『自身の内側から自然に湧いてくる強い意志に従い、自己時間を消費したこと』

それは自身の中に存在する意思であり過程でるため、決して不幸に姿を変えることはない。


・エビカツをとても食べたくなったのでお店に行く

その結果、たとえ海老カツが腐っていて不味く食中毒になろうが、

自分の意思に従い自己時間を消費した、その過程は間違いなく幸せである。


我々現代人は忙しく今を生きている。

生きていくだけで大量の金銭が必要のため、自己時間を多くをそれに交換しなくてはならない。


一般的なサラリーマンであれば、

会社への自己時間の変換は月200時間ほどだろうか。

睡眠時間への変換は月210時間


1ヶ月で所持している自己時間は

24時間 x30日=720時間


すると残す月の時間は

  720H ー 200時間 ー 210時間 = 310時間

(月の自己時間)ー(会社での換金時間)ー(睡眠)=(残りの月の自己時間)


生きる目的が『幸せになるため』であるなら、

この残り310時間をどれだけ、

『自身の内側から自然に湧いてくる強い意志に従い、自己時間を消費したこと』ができるかが肝である。


しかし、多くの人や時間の換金場では常識や普通という言葉を用いて、

残りの自己時間を奪おうとしてくる。

『幸せになるため』に生きているのであれば、そのような略奪者から何故逃げようとしないのだろうか。


しかし、多くの人が時間を略奪され続け、自分の意思を殺し、幸せを遠ざけている。

そして、残りの310時間を全て略奪されるまで静観している。


そこには時間の略奪者からの賞賛の言葉と虚構の幸せと不幸を残します。

そんなモノに何の価値があるのだろうか。


人は資源を多く持てば、その扱いが雑になります。

その際たる例が、自己時間です。

それは金銭などとは違い、決して増えることはなく消費するのみ。

何にでも姿を変える最も価値ある上位のモノなのに、どうして平気で略奪され続けておられるのでしょうか。


幸せになるために、

『自身の内側から自然に湧いてくる強い意志に従い、自己時間を消費したこと』

をするのであれば、自己時間を防衛し略奪者を寄せつけてはならない。

略奪者は、ターゲットが時間を豊富に所持していることをしれば、それを妬み羨み奪おうとする。


だから略奪者を遠ざけ、それができない相手であれば、断るか隠すのです。

この世で最も価値あるモノである、自己時間を防衛するのです。


それさえあれば、例えば、あたなが家族のためにその時間を使いたいと心から溢れてくれば、それに時間を使い幸せな家族を作れるのです。


 5、湧いてくる意思

意思には悪い意志も良い意志もあります。

自然に湧いてくる意思も同様です。


法治国家の現代では、悪い意志はデメリットしかありません。

極論逮捕されれば自己時間なんてものは極めて僅かしか残りません。

なので、良い意思が湧くようにコントロールする必要があります。


それには、倫理や哲学といった分野から原理原則を学び、

時代や国家により変化する価値観の中でも普遍の正しいモノを学べば、

手っ取り早いと思います。日本育ちで普通の方ならしなくても特に大丈夫かと思いますが。

そして、善人として生きる強い意思が湧いてこれば、それは強い力になり、

平和的に、幸せになれる人生となるのではないでしょうか。

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