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おもいつき:時間の価値

 1、起

自己が所有する1日あたりの時間の量は平等である。

一方で、この1日あたりの時間の価値は平等だろうか。


 2、時間により得る対価の比較

多くの人は金銭を手に入れるために、

自身の時間を会社に売り込み、それを手に入れる。


同じ時間を同じ会社に売り込んだとしても、

月に30万円の人もいれば、300万円の人もいる。

すると、300万円の人の方が、時間の価値が高いのか凄そうに見える。


これその組織が定めて価値であるため、

もし、その価値を定める組織が明日消えれば、

先の2人は、新しい組織に属さなければ等しく0となる。


この時間、2人の時間の価値は等しく0だ。

1人は次の会社に入り、月に40万を得た。

1人は高望みし、いまだ0円とするとどうだろうか。


このように環境により容易く変動する要素から、

時間の価値を見出すのはあまりにも不確かであり、

まるで会社という存在が、時間の価値を定める神のようだが

そんなことは気のせいだろう。


時間の価値というものを、物質的なモノから見ようとする行為は、

それを変える場所が神格化される危険性を有してしまう。


そして、時間の量は平等である絶対的なものであるならば、

時間の価値も平等である絶対的なものでなくてはならない。


赤子の時間も、老人の時間も、その価値は平等だろうか。

違いがあるのは、どれだけその限られた時間を手元に残しているかだ。

そして、この手元の時間の量はわからない。

赤子も老人も明日には、手元の時間が消えているかもしればい。

ならば時間の価値に年齢も身分も関係ない。


 3、時間の価値

そもそも価値なんてものは、勝手にヒトが自由に定義できるモノなので、

絶対的なものは無い。


しかし、多くの人は自身に価値という存在を勝手に見出してしまい

まるで実在しているかのように、この価値は思考に呪いをかける。


すると私たちは価値の奴隷だ。

その価値を値付けする、人間に時間を容易く奪われてしまうだろう。

1ヶ月30万も、300万も、そのヒトの時間を奪うための定義でしかない。

30万で奪われてしまう人がいて、300万で奪われるヒトがいて、それだけだろう。


そんなものを追求したところで無駄であり、

時間の価値は虚構でしかない。

しかし、生活していくためには、時間を奪われる奴隷になるしかない。

せめて、時間は自分の意思で奪われてしまえば、まだ少しばかり幸せだろう。


その程度のものに人生をかけて、

死にそうな顔で躍起になる必要も価値も何も無いのではないだろうか。



そもそも、量と一緒に使われる言葉は質なので、

時間の量と時間の価値で考えるのではなく、

時間の量と、時間の質で考えるのが正しいのだろう。


時間の質は間違いなく存在する。

この質を高めることこそ豊かな人生であり、その質は自分で定義できる。


それに躍起になることこそ良い人生ではないだろうか。

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